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福岡高等裁判所 平成8年(ネ)825号 判決 1997年11月28日

控訴人

松隈秀光

右訴訟代理人弁護士

角南雅德

被控訴人

林田勇

右訴訟代理人弁護士

井上道夫

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一  申立て

控訴人は、「原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文同旨の判決を求めた。

第二  主張

一  請求原因

1  被控訴人は建築請負業を営んでいる。

2  被控訴人は、平成五年二月ころ、控訴人から、福岡県嘉穂郡碓井町大字平山字トキツギ二一〇番一の土地上に、木造瓦葺平家建居宅床面積194.25平方メートル(以下「本件建物」という。)を建築する工事を請け負った(以下「本件請負契約」という。)。

3  本件請負契約における請負代金(以下「本件請負代金」という。)の額は三七四一万円であった。

4  被控訴人は、平成五年一二月三一日ころまでに、本件建物を完成して引き渡した。

5  よって、被控訴人は、控訴人に対し、本件請負代金から既払いの二四一六万円を控除した残額一三二五万円、及びこれに対する弁済期の経過後で本件訴状送達の翌日である平成六年一一月一三日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否及び主張

1  請求原因1、2、4は認める。同3は否認する。

2  本件請負代金の額は二六五五万円と合意された。右合意の後、控訴人の兄松隈正美は被控訴人から、本件請負代金の額を三七四一万円と記載する工事請負契約書(乙八。以下「a契約書」という。)と、本件請負代金の額を二六五五万円と記載する工事請負契約書(乙一。以下「b契約書」という。)を受け取ったが、a、b契約書は、いずれも、被控訴人が、控訴人から別の用途に使用するため預かった印章を用いて、控訴人の関与なく作成したものである。

三  抗弁

1  岡村工務店の給排水工事

(一) 控訴人は岡村工務店(岡村豊)に対し本件建物の給排水工事代金として一〇七万円を支払った。しかし、右給排水工事のうち浄化槽設置工事を除いた部分は本件請負契約に含まれていたから、右代金のうち、浄化槽設置工事の代金五〇万六〇〇〇円を除いた五六万四〇〇〇円は、本来、被控訴人が支払うべきものであった。したがって、控訴人は被控訴人に対して右五六万四〇〇〇円の求償債権を有するから、控訴人は、平成八年五月一七日送達の同日付準備書面をもって、被控訴人に対し、右求償債権を自働債権として、本件請負代金債権と対当額で相殺する旨の意思表示をした。

(二) 仮に右給排水工事(浄化槽設置工事を除く。)が本件請負契約に含まれていなかったとすると、控訴人はこれが含まれるものと誤信したのであるから、本件請負契約は右工事代金五六万四〇〇〇円の限度で錯誤無効である。

2  本件建物の瑕疵

(一) 本件建物には別表のとおり瑕疵がある。そこで、控訴人は、右瑕疵の修補があるまで本件請負代金の支払いを拒絶する。

(二) 右瑕疵の修補には二四五万円を要するから、控訴人は被控訴人に対し同額の瑕疵修補に代わる損害賠償債権を有する。そこで、控訴人は、予備的に、被控訴人に対し、平成九年九月二四日送達の同月一七日付準備書面をもって、被控訴人に対し、右損害賠償債権を自働債権として、本件請負代金債権と対当額で相殺する旨の意思表示をした。

四  抗弁に対する認否及び主張

1  抗弁1は否認する。同2のうち、本件建物に別表のとおりの隙間がある限度で瑕疵があること、右の瑕疵修補に四六万一四〇九円を要すること、控訴人が被控訴人に対して平成九年九月二四日に相殺の意思表示をしたことは認めるが、その余は否認する。

2  控訴人主張の給排水工事は本件請負契約には含まれていなかった。右工事は、石炭鉱害事業団及び松隈正美が岡村工務店に請け負わせたものである。

五  再抗弁

1  控訴人は原審において瑕疵修補に代わる損害賠償請求権を選択したから、もはや、瑕疵修補請求権を行使することはできない。

2  控訴人の瑕疵修補請求は権利の濫用として許されない。なお、瑕疵修補の主張は、時機に遅れた攻撃防御方法でもある。

第三  証拠

原審及び当審記録中の証拠関係目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1、2、4の事実は当事者間に争いがない。

二  本件請負代金の額について

1  証拠(甲三の1、乙八の各存在、甲二、三の2、四、七、一一ないし一三、乙一、二、三の1ないし4、九の1ないし10、二一、原審証人松隈正美、原審における被控訴人、当審における控訴人)によれば、以下の事実が認められる。

(一)  控訴人とその両親は、本件建物所在地にあった控訴人の父松隈慶喜所有の建物に居住していたが、右建物とその敷地が石炭鉱害事業団による鉱害復旧工事の対象となり、これを機会に、控訴人において、右建物を建て替えることになった。そして、控訴人は鋳物工場に勤務し、事務的なことには不慣れであったため、三洋商事株式会社の役員を務めていた兄の松隈正美に対し、右建替えに係る交渉一切を一任した。そこで、松隈正美は、平成五年三月ころ、被控訴人との間で、本件請負代金の額を三七四一万円とすることを合意し、被控訴人は、右請負代金額が記載された工事設計書二通(甲四、乙二一)を作成して、その一通を松隈正美に交付した。

(二)  平成五年五月ころ、被控訴人は、本件請負代金の額を三七四一万円と記載する工事請負契約書二通(甲三の1(以下「A契約書」という。)、乙八(a契約書))を作成したが、同時に、松隈正美から、控訴人に課税される贈与税対策のため、公的機関への提出用として本件請負代金の額を圧縮した工事請負契約書を作成するよう依頼され、本件請負代金の額を二六五五万円と記載する工事請負契約書二通(甲三の2(以下「B契約書」という。)、乙一(b契約書))を作成して、A、B各契約書は自ら保管し、a、b各契約書は松隈正美に交付した。そのため、正式文書としての体裁をとる必要のあったB、b各契約書には印紙が貼付され、その必要のないA、a各契約書にはこれが貼付されなかったし、また、建築基準法一五条一項に基づく建築工事届も、本件請負代金の額を二六五五万円と記載して提出された。そして、本件建物の完成後、右のような贈与税への配慮から、その登記名義は控訴人と松隈慶喜の共有名義とされた。

(三)  控訴人は、本件請負代金に当てる資金として、住宅金融公庫から控訴人が借り入れる六〇〇万円、母親の貯金一〇〇〇万円、父松隈慶喜の貯金一千数百万円、石炭鉱害事業団から松隈慶喜に支払われる鉱害復旧費約一一〇〇万円、以上合計三千数百万円を準備していたが、そのうち二四一六万円(平成五年六月二二日に九〇〇万円、同年一〇月二八日に八五六万円、同月三〇日に四六〇万円、同年一二月二九日に二〇〇万円)が被控訴人に支払われたのみで、残金の支払いはなかった。控訴人及び松隈正美は、本訴が提起されるまで、被控訴人からの本件請負代金の請求に対して、松隈正美において本件建物に値打ちがないとか、瑕疵があるとかの拒絶理由を述べるだけで、本件請負代金の額が被控訴人主張の額とは異なるといった主張をしたことはなかった。

2  右認定のとおり、本件請負代金の額は、被控訴人と控訴人の代理人松隈正美との間で、三七四一万円と合意されたものと認められる。これに対し、原審証人松隈正美は、右の額を二六五五万円と合意したと供述し、乙一三(同人作成の陳述書)にも同様の記載がある。しかしながら、右認定の本件請負代金の額を合意した前後の事情、すなわち、松隈正美及び控訴人は、本件請負代金の額を三七四一万円と記載する前記工事設計書やA、a各契約書の交付を受けながら、何らの異議も述べていないこと、控訴人が右代金額に見合う資金を準備していたことなどの事情、及び原審における被控訴人本人尋問の結果に照らし、右の供述部分及び記載部分はいずれも信用できない。

三  岡村工務店の給排水工事

1  本件全証拠によっても、右の点に関する控訴人主張事実を認めるに足りる証拠はない。

2  かえって、証拠(甲八、一一ないし一三、乙四の1ないし6、五の1ないし3、二一、原審における被控訴人)によれば、本件建物の給水及び給湯工事については、石炭鉱害事業団が直接岡村工務店に請け負わせ、排水工事については、松隈正美が岡村工務店に請け負わせ、いずれも、岡村工務店がこれを施工したこと、そのため、本件請負契約から給排水工事(一部の屋内排水工事を除く。)の施工は除外されていたこと(松隈正美が交付を受けた前記工事設計書でも右工事は除かれていた。)、右各工事の完成後、岡村工務店は、石炭鉱害事業団から請負代金として五三万一四八〇円の支払いを受け、さらに、松隈正美からも請負代金の一部の支払いを受けたこと、以上の事実が認められる。そして、右認定のとおり、松隈正美が前記工事設計書の交付を受けており、岡村工務店に対して請負代金の一部を支払っていることからすると、控訴人の代理人であった松隈正美は、本件請負契約から給排水工事(一部の屋内排水工事を除く。)の施工が除外されていたことを知悉していたものと推認される。これに対し、原審証人松隈正美は、岡村工務店に工事を発注したことはないと供述し、前記乙一三にも同様の記載があるが、前掲各証拠に照らし、いずれも信用できない。

3  したがって、岡村工務店の給排水工事に関する抗弁はいずれも理由がない。

四  本件建物の瑕疵について

1  本件建物に別表のとおりの隙間がある限度で瑕疵があること、右の瑕疵修補に四六万一四〇九円を要することは、当事者間に争いがない。しかし、控訴人が主張するように右の瑕疵が柱の傾きによって生じているものと認めるに足りる証拠はない。また、控訴人は右の瑕疵修補には二四五万円を要すると主張し、これに沿う記載のある乙七(萬屋建設有限会社作成のメモ)を提出する。しかしながら、右メモの記載内容は大雑把であるうえ、右記載の費用は控訴人主張の瑕疵を前提として算出されたことが窺われるが、右のような瑕疵が認められないことは前述したとおりであり、右記載内容をそのまま採用することはできない。そして、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

2 控訴人は、瑕疵修補との同時履行の抗弁を主張する。しかしながら、右瑕疵は主として柱と建具との間の僅かな隙間であって、その修補費用に照らしても軽微なものということができる。そのうえ、本件訴訟の経過をみると、控訴人は、民法六三四条一項に従い、相当の期限を定めて瑕疵の修補を求めたことはなく、当初から一貫して、瑕疵修補に代わる損害賠償債権の金額を本件請負代金から減額するよう求めていたにすぎず、右のような同時履行の抗弁を確定的に主張したのは、当審における審理の終結間際であった。以上の事情にかんがみると、控訴人が瑕疵修補を求めて本件請負代金全額の支払いを拒むことは信義則に反して許されないというべきである。

3  次に、控訴人は、瑕疵修補に代わる損害賠償債権との相殺を主張するところ、控訴人が被控訴人に対して平成九年九月二四日に相殺の意思表示をしたことは当事者間に争いがないから、本件請負代金債権は前記1の四六万一四〇九円の限度で消滅したことになる。なお、本来、瑕疵修補に代わる損害賠償債権と請負代金債権とは民法六三四条二項によって同時履行の関係に立つから、注文者は相殺の意思表示をするまで請負代金債権全額について履行遅滞による責任を負わない(最高裁平成九年七月一五日判決裁判集民一八三号参照)。しかし、前記のとおり、本件建物の瑕疵は軽微であるうえ、控訴人の代理人であった松隈正美は、平成五年一二月二九日に本件請負代金として二〇〇万円を支払った後、被控訴人の請求に対して何度も支払いを約束しながらこれを反故にし、揚句には、本件建物に値打ちがないとか、瑕疵があるなどと主張するようになったが、具体的には瑕疵のある箇所を指摘することなく支払いを拒み続けたため、本訴が提起されるに至ったものである(甲二、原審における被控訴人)。これらの事情にかんがみると、仮に控訴人が瑕疵修補に代わる損害賠償との同時履行の抗弁を主張したとしても、これを理由に本件請負代金全額の支払いを拒むことは信義則に反して許されないというべきであって、控訴人は履行遅滞の責任を負う。

五  以上によると、被控訴人の本訴請求は、本件請負代金三七四一万円から既払額二四一六万円及び右相殺額四六万一四〇九円を差し引いた残金一二七八万八五九一円、及びこれに対する弁済期の経過後で本件訴状送達日の翌日である平成六年一一月一三日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で正当として認容し、その余は失当として棄却すべきである。よって、原判決は正当であって、本件控訴は理由がない。

(裁判長裁判官下方元子 裁判官池谷泉 裁判官川久保政德)

別表<省略>

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